大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島家庭裁判所 昭和42年(少)1755号 決定 1967年10月02日

少年 D・K(昭二五・七・二〇生)

主文

少年を医療少年院に送致する。

理由

罪となるべき事実

少年は昭和四二年八月○○日午後二時頃、広島県山県郡○○町大字○○○○××××の○の自宅表八畳の間において、弟のD・T(一一歳)がマンガの本を読んでいたところ、いきなり同人の後から腰ひもようのひもを頸部に二回まきつけて引張り、即時同所において同人を窒息死せしめたものである。

罰条

刑法第一九九条

要保護性

一  少年はIQ五五の精神薄弱者である。鑑別結果通知書にも明らかなごとく、日常の会話には差しつかえない程度の言語活動は可能であるが、抽象的思考となると総じて不得手である。

当審判廷においても、悪いことをしたとさかんに首肯くけれども、人殺しが何故悪いかという思考になると判然とせぬ様であり、よつてそれから来る罪障感も殆ど感じられない。

二  反面、自己防衛と劣等感の補償として発現したとみられる虚言癖は殆ど習慣化しており少年の言は何を信頼して良いのか迷うほどで、本件捜査の段階においてもその供述は転々としており、低格者であるがゆえに前言をひるがえすことも平気であつて何の抵抗も感じていない。

三  少年の家族は母方に精神病者等があり、母自身も知的低格者の様に見うけられるし、本件の被害者となつた弟D・Tも唖者といつた血統的な負因が大きい。父は知的には普通で子供には愛情はあるが、大酒飲みで多子をかかえて家は常に金に窮し、不和であつた。精薄の少年に唖者で度をこすいたずら者のD・Tの一日の守りをまかせ、それが充分でないと言つて叱る等少年にとつては保護環境は物心いずれの面でも不十分であつた。

四  以上の諸点に鑑みれば、少年の侵した罪は成程深いけれども、右は環境不適応の結果とも考えられるので、この際医療少年院に収容して、少年なりに将来立つべき道を拓いてやりながら病的虚言癖の矯正をはかるのを相当と考えた。

少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項

(裁判官 笹本淳子)

参考二

調査報告書

広島家庭裁判所

裁判官 笹本淳子殿

昭和42年9月25日

同庁

家庭裁判所調査官 中本義郎

昭和42年少第1755号 少年 D・K子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時 昭和42年9月25日 陳述者 ○○町大字○○○○住民

少年との関係 職業

場所 山県郡○○町大字○○○○ 住居

陳述の要旨 本少年が犯した殺人事件について○○○○の住民の少年に対する感情について家庭にいる主婦、田地で稲刈をする農夫、旅館の主人、駄菓子屋の老人、小中学校長、担任であつた中学校教師等について調査した結果は次の通りである。

◎○藤○○小学校長の意見

非常にむづかしいケースである。教育者の立場でなく○○村の村民として意見をのべて見たい。

殺人という大罪は私の知つている限りこの村には初めてである。たとえ、加害者が少年であれ被害者が唖者であつたにせよいたいけな弟を姉である加害者が絞殺したことは許せない、如何なる重い刑罰でも甘んじて受け自分の犯した罪の償いをすべきでありこれが現世の掟であろう。

だが、しかし本少年の場合少し深く考察すべき点がある。加害者の場合完全な精神薄弱者である。

私の知る限りでは加害者の父親は元役場に勤めていた関係で知人も多く何とかして加害者であるD・K子を精薄施設に入れて少しでも教育して貰おうと相当の努力をし役場の関係者もある程度の努力はしたようであるが、結局施設入所の運びに至らず特別学級もない本校さらに中学校に入学させ殆んど放任のまま社会に送り出してしまつた。さらにD・K子は府中市の織布工場に学校の紹介で就職させたが、こうした知的低格児が正常な女工員とともに、機械化された工場に適応ができようか、社会適応能力が欠けているから精薄なのである。1ヵ月で帰宅し爾来家庭にいて弟の被害者の守をしていた、自分自身に守が必要な子であるのに唖者でしかも非常に乱暴な弟を守さすとは、家庭も家庭だが○○○の村民及町の関係者にも問題がある、社会の罪と申しても過言ではない。今一つ本少年は精神障害者である、先に申した罪の償を果して加害者D・K子に求めるべきか否か、D・K子はどこから見ても精薄に間違いない。

多分弟を絞殺した現在でも、さして罪意識はなかろう。そうした少年を刑罰に付して何になろう。

私は何としてもD・K子には長期の教育が必要と思う。刑罰でなく保護教育が望ましい。

教育してやれば少しでも前進する。前進させてやることが社会の責任である。

もし本少年を施設に入れていたらこうした大罪はなかつたであろう。

そのことで今一つ社会に責任がある、被害者D・Tは唖者で粗暴性も見られた、両親は何としても、ろう唖学校に入学させようと役場を訪ね、広島市○○町のろう学校にも足を運んでいる。

しかるにこれまた入学を拒否され、社会の有識者も誰一人協力してやらず、知つて知らめ顔をして放任していた。もし被害者が施設に入所していたらまたこうした大罪は起らなんだであろう。社会の罪はここにもある。

されば、私見とすれば、本少年の場合刑罰より、むしろ保護教育に重点を置くべきと考える。

◎○本○○中学校長の意見

私は○○中学校に来て日が薄いので、本校を卒業したD・K子のことは知らない。

D・K子の今後の処分について私見を申しあげるなら、大罪で軽卒なことは申せないが、私が教師の為かこの問題については私の耳にはまだ何も入つていない。

何せ、殺人という大罪であり、たとえ少年とは申せ、17歳の少女であり弟を殺した罪は大きい。

さりながら、本人は精神薄弱者であり、今日迄特別の教育を受けたこともなく小学校でも、中学校でも1人ポッソリ取り残された存在で社会の人々はこうした少年に対し十分な手を打つたとは認められない。

本校を卒業し、府中市の織布工場に就職させているが、こうした少女を機械化した工場で働かすことが無理なことで適切な取扱いではなかつたようだ、更に工場から追い帰された少女は唖の守を押しつけられ自分のハエが追えないのに弟のハエまで追う身になつた。無理であつたに違いない。

こう考えて見ると少女のみ責めるのは何としても酷であり刑罰はさけるべきであろう。

社会は責任を持つて、本少女を指導してやるべきで、裁判所においてもそうした配慮が望ましい。

たとえ、大罪でもこうした少女を刑罰に付したとて世論が賛成するとは考えられない。

◎元本少年の担任山○先生の意見

嘘つきで、馬鹿とは思えん嘘をつき腹の立つ時も度々あつた、しかし何としても低能児に変りはない。

過去と現実の区別がつかないため、それが嘘になるのだろう、過去にあつた事実を今そう感じるのだろう。私の感じでは父をひどく怖れていた、父の体罰が想像できる。普通の子は親より教師がこわいのだがD・K子は教師より父をひどく怖れていた。

私が元担任だつた為かこの事件については私の耳に何も入らん、ただ父の飲酒癖は有名であんなに大酒するから罰があたつたのよという父の態度を非難する声もあるが、しかし一方父は非常に子供を可愛がる一面もあつて子供を叱りもするがそれ以上に可愛がる良いところもあるのだがという声もあつた、今になつてD・K子に弟の唖を守させたことについてしまつたことをさせたものだという村人にも責任があつたと感じる人もいる。特に親族にそうした考え方が強い。

私はD・K子の犯した罪が大罪ではあるが、さらに本人はそう大罪という罪意識はなかろうが刑罰をさけ我々社会の者がどうしても為し得なんだこうした子の指導をして貰いたい。これは、私だけでなく当学校の先生方も同意見である。精神薄弱少女を野放していていた我々教育者や町役場、教育委員会にも大きな責任があり、村人たちも見て素知らぬ他人ごとと考えていた責任は大きい、皆の責任と思う、どうか、法に照せば極刑だろうが、こうした少年を救い得る道は家裁しかない、たとえ長期でも刑罰でなく保護指導して貰いたい。

◎一般の村人の意見を綜合して見るに父の酒癖をなじる声は強い 天罰だと老人は言う

しかし、一方父が大酒しても必ず子供の為に菓子を買つたり料理を持つて帰つたり、弁当のおがずお自らは食べず持ち帰つたりする態度には頭が下るとて父の評価をよく言う人もいる。

父は大酒はするが特に喧嘩をする男ではない、しかし売られた喧嘩に引込む男でもない。

少年家の子供の不遇に同情する人も多い。この不具疾病について、母方に因があるとの風評も強い、父方には先生もおられるが母方には八文や狂人もいる。多分その血が子供に出たのだろうと言う人もいる。さらに母の不始末をなじる目もある。母がボケているから2人の子供を火傷させたのだ、一軒の家で2人も子供を火傷さす親がどこの世界におろうかと、

こうした母の無能を責める空気も強い、あるいは父の飲酒、子供の不具に対し如何に母が苦労するだろうかという母に対する同情論もある

さて、本少年の犯した大罪について世論は如何に

ああした、馬鹿八文が殺したんだし正常の者が殺した場合とはお上の裁きは異なるだろうという考え方が圧倒的に支配している、刑法にある減刑は知らないが、

今一つ、たとえ本少年が知的低格者であり、同情論もあるがもし他人の子を殺した場合は、地域感情も異なるであろう空気は充分察せられた。

曰く、殺されたD・Tさんも唖だし大きくなつても果して幸福になるかどうか、可哀想だがああして好きな姉さんに-後の言葉はないが推察に難くない、そうしたところに、本少年に同精論も出て来るのであろう、しかし誰も、今帰つて来たのでは村人の目も冷かろう。人の噂も75日とか、どこかで勉強しあんな嘘をいわんD・K子さんになつて帰つて来んさらんと、と村人は本少年の非行もさることながら嘘の矯正を希望し、しかして教育すれば、嘘をいわないD・K子に立帰るであろうことを期待している。D・K子よ村人の気持が分るかと反問したい。

参考三

調査報告書

広島家庭裁判所

裁判官 笹本淳子殿

昭和42年9月25日

同庁

家庭裁判所調査官 中本義郎

昭和42年少第1755号 少年 D・K子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時 昭和42年9月25日 陳述者 D・Z

D・M子

少年との関係 実父・実母 職業 木材夫・

農業

場所 山県郡○○町大字○○○○×××× 住居 左に同じ

陳述の要旨 1.実父D・Zについて

イ、実父D・Zの両親同胞について

◎父の父 D・E 70歳 小4修了、農業 身心に異常はない、大酒はしないが好酒家若い頃女道楽をしたらしい(尤も、この地方は昔から夜這いの風習が強く終戦前までこうした男女間の交渉が続いた)

D・Eは妻帯後本少年の実母の母の兄の妻と関係し子供を孕ませ、こうしたことが因で実母の母の兄夫婦が相次いで精神病を患い、少年の実母の母の兄の方は軽症だつだが妻は重症で家の中に隔離までした。妻が先に死亡し少年の実母の母の兄は39歳時死亡した。その子供は現存するが精神に異常はない。

◎父の母 D・Y子 55歳時(13年前)子宮癌で死亡した。夫の酒と女道楽に苦労したらしいが子女に対しては非常に優しかつた。身心に異常はない。

◎父の実姉 Y・T子 49歳 女子師範卒後小学校教員をなし現在○○小学校で2年生を担任している。

少年の実母の父の弟Y・Sと婚姻している。

◎父の実兄 D・Y 22歳時 戦死した 海軍軍人 正常

◎父の実兄 D・H 41歳 高小卒 農業をなし妻、子供2人、真面目で風評良好、○○○に居住

◎父の妹(実)D・D子 37歳 高小卒 I・J(板金工)と婚姻広島に住む、子供なし 正常

◎父の実弟 D・S 30歳時サルベージ船に乗船中事故死した 正常

◎父の実妹 D・N子 6歳時ヂフテリアで急死

◎父の実妹 D・O子 4歳時ヂフテリアで急死

1日置いて2人の子が死亡した。

◎父の実弟 D・I 29歳 高校卒 北海道のボーリング会社に勤務、妻帯し子供1人 正常

ロ、父D・Z 39歳 ○○小学校入学3年生頃までは成績良好だつたが、次第に下降し高等科に進学し再び向上した、高小卒後 ○海軍工廠工員養成所に入所し3ヵ年の養成を終え、○工廠の工員をした。寮生活、終戦前のS20.8.8工作隊として○○海兵団に入隊したが8.15終戦となり○○に帰つた。

適職もなく親の許で農業を手伝い、炭焼をして暮した。S22.7月○○村役場の書記に採用され土木課、耕地課、観業課に勤めた。その頃から同部落に住む現妻を知り時々逢つていた。

2人の仲は父の親、母の親に知られ、結婚の承諾を得てその交際は激しくなり堂々とやつた。

役場に勤めはじめた父は何だ彼だと酒を飲む機会が多くなり、そもそも好酒家の父は1升の酒を飲んで下駄で自転車に乗り、パチンコ店で遊ぶのはヘッチャラだつた(22歳頃から本格的に飲酒する)

S25.3月 父の両親の家で、結婚式を挙げ分家することになり、現住所に居家を建てて貰つた。2反余の田地を貰い分家した、結婚式の時少年の母は已に本少年を孕んでいた。

父は爾来○○村役場に勤務したが、月給6,000円の低収入であるのに交際酒がかさみ、借金がふえ生活苦のため、S28.10役場を辞職し、農業を妻に任せ、木材夫となり今日に至る。

34歳時 胃潰瘍を患い1ヵ年禁酒したが再び飲酒する。飲めは一升でも飲むが経済が許さず現在日に3合位にしているが外で妻に内密に飲むこともある。月4升はどうしても買うと母は言うが父はそれでは不足するので外で飲むらしい、酒なくてなんで己が桜かな、というところ。

父の性格は非常に涙もろく、他人に同情深い、テレビ、まんがを見てもおろをろ涙を出して泣く。しかし一面非常に短気で負け嫌い、売られた喧嘩は決して下に出ず受けて立つ、立腹すると向う見ずになる。

妻子に対しても暴力を振う、酒が入ると一層激しい、感情の起伏が激しい、正義感も強い。

嬉しい時に飲酒すると陽気になり、子供と歌を合唱しはしやぐが、不機嫌の時は叱責が多い。

子女を叱りもするが、自分が酒を飲んで帰る時は必ず、子供にも何か買つて帰つてやる。弁当のおかずでも自分は食べずに持つて帰り、死んだD・Tに与えてやることもしばしばだつた。

また、他人の子でも可愛がり、貧乏するのに菓子でも買つて与えていた(近所の風評)

妻に対しては全く暴君で、給料も月10,000円妻に渡すのみで殆んど自分が持つており財布を今だに妻に許していない(このため母は少しでも自由の金が欲しいので外で働き小遣銭を稼ごうとする、それを父は嫌い夫婦喧嘩になる。S42.4月 父が母を強打し4.9から4.20まで母の里に木ボロを売つた)

2.実母 D・M子について

イ、D・M子の両親、同胞について

◎母の父 Y・K 67歳 小4修了 農業に従事、心身に異常なし 好酒家 女道楽もした。しかし、人間は真面目で風評は悪くない、母の父の系統に精神障害はない。

◎母の母 Y・T子 58歳 小卒 ○○村の出身、正常、長女Y・U子が妊娠中夫が女道楽大酒したので、相当気苦労したらしい、母の兄が妻帯し夫婦共に精神病を患い相前後して死亡した。その原因は少年の父D・Zの父親D・Eが少年の母の母の兄の妻と関係し子を孕ませたことで妻が先に発狂し、続いて夫が発狂したらしい。

◎実姉 Y・H子 42歳 ○○小卒 幼少期から知能低く近所の人に八文娘と呼ばれる。しかし、本少年D・K子より知能は良いらしい。反社会的行為は全くない。結婚もせず、独身で家にいて手伝する。

◎実弟 Y・I 34歳 ○○中学校卒、正常で○○運送の運転手、妻帯、妻現在妊娠中

◎実妹 Y・Y子 生後6ヵ月で熱病で急死 Y・Iと双生児だつた。

◎実弟 Y・D 30歳 ○○中卒 東京都で大工職人となつている。妻帯子供1人、心身正常

◎実妹 Y・U子 20歳 ○○中卒 岡山市○○レーヨン女工、中々しつかり者で正常

ロ、母D・M子 37歳 Y・Kの2女、○○小学校入学 成績は中位だつたという。高等科を終え、家庭にあつて農業を手伝い花婿を探していた。

母の目にとまつたのが、本少年の父D・Zで○工廠から時に帰宅するD・Zに心ひかれていた。終戦後帰宅して農業を手伝つていたD・ZとD・M子は次第に接近し愛する仲になつた。親も許してくれ堂々と恋愛生活を続けた。S24の秋祭りの夜、酔つ払つてD・ZはD・M子の家に泊つた。

酩酊したD・ZはD・M子の肉体を求めた、来春は結婚式を挙げるのだしとD・M子も喜んで身を任した、D・M子はその後妊娠したことを知り、D・Zに話した。そしてS25.3月結婚式を挙げD・Zは分家し、7.20本少年を分娩した。D・M子はいう。今から考えて見るとあんなに酩酊していた夫と性交し受胎したのでD・K子が馬鹿な子になつたのではなかろうかと、その後の幾度かの夫との性交は常に飲酒酩酊状態の時に交わされていた。死んだD・Tもそうしたことが因ではなかろうかと悩んでいると、さらに、母の悩は大きい、本件は勿論であるが、本少年の知的低格、長男D・Aの火傷そして水死、次男D・Tの唖、3女D・B子の大腿部火傷と子供運に恵まれず死ぬる思いがすると、

子供2人も炬燵の中で火傷させたことは如何に寒い山村とは申せ母にその責任はある。

母は家の近所の田地3反を耕作しながら不遇な子供の監督指導に日を追われて今日に至つている。

母は一見しつかりしたように見えるが何かしらボーツとしたところがある。教養は低くだらしない。

涙もろく同情深い面も見られるが夫の酒乱、子女の不遇に相当泣いて来た女で腹の底には自由を求めている。本年3月小遣銭もうけに河川工事の人夫に出て、1日700円を手に入れたら、その味が忘れられず3日余り出稼したところ、夫が強く叱り顔を殴打されこれに立腹し、5人の子を残して里に木ボロを売つた、4月○から4月○○日まで帰宅に応じなかつた。殴つた父も父だが、こうした子がいるのに里に帰つて知らぬ顔をしていた母も母である。母が里に帰つている間、本少年が弟妹の面倒を見つつ甲斐甲斐しく働いたと父は本少年を賞めているが、その間の本少年の苦悩は計り知れないものがめる。本件の遠因ではなかろうか、人が中に入つて4.20母は帰宅した。しかるに、本件前から再び河川工事に母は出た。

母に取つて1日700円(残業で830円)の現金を得ることは、財布をまかされない苦悩から解放されたようで、夫の外で働くなという言葉に耳を傾けることなく、日稼に出ていた。母はいう、主人のいうことも分らんではないが、こうして貧乏すれは私が流す汗で700円もの現金が私の手に直接入いり、これで子供達の好きな物を誰はばかることなく買つて帰えり与えた時の子供の喜ぶ姿を見ると、ついつい仕事に出たくなつてと泣く。父D・Zはいう、妻の言も分らんではないが、ふびんな2人の子を家に置いて、私達夫婦が家をあけていてもしものことがあつたら(火事等)と私は考え貧乏から脱却する一つの方法として役場から牛を借り成長させて仔牛を生ませて金をもうけようと昨年牛一頭を借りて妻に飼育させ、D・K子、D・Tにも手伝わせ、2児の監督と金もうけを考えていたのですと、

こうした大事件を惹起させ、母は自己の考えの足らなんだことを後悔している。

3.少年の同胞について

◎実弟 D・A 生後1ヵ月位の時炬燵の中で火傷し両足首が丸くなり奇型となつた。歩行も不自由、知能も低かつた、5歳時川に魚釣りに行き水死した。

◎実弟 D・T 生れて間もなく中耳炎を患い耳が聞えなくなつた為に唖者となる。その後耳の治療に成功し耳はある程度聞えるようになつた、関係機関に依頼し○○ろう学校に入学しようと努力したが耳が聞えるのを理由に入学を拒否され父も万策がついた。爾来家庭で養育していた。知能は劣つていないようで機械いじりを非常に好んでいた、気に入らんと非常に乱暴し手のつけようがなかつた。調査者もD・Tの乱暴の跡を見たが筆舌に尽すことは出来ない(家の破損状態)本少年とは仲良しだつた。

◎実妹 D・C子 ○○小学校 4年生 夜尿もあつたが現在はない、同胞中一番やんちや娘、IQ90、成績中位、問題行動はない。

◎実妹 D・B子 ○○小学校 2年生 S39.12.30左大腿部を火傷する S40.7~11○○病院に入院手術する若干ちんば、再手術の要あり、知能準普通、成績中位、温和で問題なし

◎実弟 D・F ○○小学校 1年生 8ヵ月の早産、○○○病院に入院出産、知能が低いと思つていたが暗算が非常にうまいと先生に賞めて貰つている。中位の成績だがまだ分らん、休むことはない。

○○小学校○藤校長談

現在、D・C子、D・B子、D・Fの3姉妹弟が、本校に在学している。3人の学籍簿を見ると、3人共知能の遅れた子はいない、普通である。2年生のD・B子が大腿部を火傷しているが格別歪曲したところはない。皆元気一杯だ、昨年生活扶助を受けている。

この度の事件で2人の子の様子には注意したが格別変つたこともなく、欠席もしない。

4.本少年について

◎昭和25年7月○○日 父D・Zの父母の家で出生した。1週間前頃から母D・M子にはカルシウム注射し、本少年の出生を待つた、3日位母は腹痛を訴えた、最初の子で母は初産相当不安であつた。

出生時1貫目を超す大娘だつた、出生時一声も泣かなんだ(他の子は皆オギャーと泣いた)頭の非常にでかいことが母の印象に残つている、お産婆さんは近所の○藤○代氏でベテランだつた。

産婆さんに手落はなかつたと父母は信じている。正常分娩

◎母乳発育は良好だつた。

首の据つたのは4ヵ月位 歩行は1年半位で2年に近かつた。その頃から片言を言うようになつた。

◎2歳頃から高熱(40。)を出し、ひきつけを併発した。頭を冷やしたり「やいと」をした。2kmのところに医者があつたので注射をして貰つていた。3歳位までこうしたことが続いた。月2~3回位、3歳頃父が蛔虫薬を飲ませたら茶碗に一杯蛔虫を嘔吐した。大便にも一緒に出た。その後発熱やひきつけは止んだ、夜尿は小学校3年生頃まで続いた、格別治療はしなかつた、自然に止んだ、時には夜寝て大便もしていた。

◎歯ぎしりをして困る。今でも寝てやる。時々起していた。

◎月経は中学3年生3学期からでどうももぢもぢするので調べて見たら初潮だつた。

その後はー人で始末するようになり、しくじつたことはない。

少年は月経前後急に乱暴になる。特に月経の前が激しい。機嫌が急に悪つくなり、皆に当り散らし自分の大切なものでもめちやめちやにしたり弟妹の学用品でもコナゴナにする。一寸見たら気狂いのようになる。

◎時々ボーとして呼んでも返事をしない。左利で食事中でもよくボーとして箸や茶碗を落すことがある。茶碗でもまともに持つていないこともある。

◎甘い物より、辛い物を好く。まんじゆうは食べない、大食いだが朝時々食べんことがある。とにかく元気で風邪一つひいたこともなく腹痛をしたこともない。

◎○○小学校に入学したが勉強はさつぱりで学校に行くだけ、感心に学校は休まなかつた、小学校5年生頃から嘘が萠芽した。理由は分らん、見えすいた嘘を言う。その都度嘘を言うと警察に行くようになるとおどろかしたり叱責したりしたが駄目

◎○○中学校に入学した。学校に行くだけで勉強は一切しない。○○中学校の同級生に○田○○子なる不良娘がいて、この○田と親交し一層嘘が多くなつたらしい、この頃から家出もするようになつた、

父母の悪口を申し人の同情をかうような嘘が多い。

◎○○中学校をS41.3卒業し、3.21府中市○江織布会社に女工として就職したが知能低く適応困難 4.26やめて帰宅し、家庭で弟D・Tの守をしていた。D・Tは非常に愛し、入浴も一緒にし、寝るのも一つふとんに寝ていた。(少年とD・Tは八帖の部屋に寝、隣室に父母と妹弟3人 計5人が寝ていた)

参考四

調査報告書

広島家庭裁判所

裁判官 笹本淳子殿

昭和42年9月29日

同庁

家庭裁判所調査官 中本義郎

昭和42年少第1755号 少年 D・K子

上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。

日時 昭和42年9月29日 陳述者 D・K子

少年との関係 本人 職業 無職

場所 住居 山県郡○○町大字○○○○××××の○

陳述の要旨

1.面接に当つて、去る9月25日本少年の家庭を訪問し父母、祖父母、近所の人、○本先生達に面接し本少年のことについて色々調査した点、少年の家の様子(牛がモーとないたこと)近所の様子等詳細に話し、調査者に対し嘘は通用しない点をできる得る限り説明しさらに親近感を抱かせるべく努力した、約50分を要した。第1回面接は9.19にしたがその際は少年について未知であつたため、殆んど嘘で自己をカバーし落着もなく、そわそわして真実の事実調査が不可能であることを自覚したので、第2回面接に当つて上記の点を充分意を払つて面接した、しかしともすると嘘を申立てこれがばれると嘘だつたと笑いながら答え少年の口から真実を発見することは非常に困難であることを痛感した。

2.弟妹で一番好きだつたのはD・T、次に川に魚釣りに行つて死んだD・A、次にD・B子、その次がD・FでD・C子は大嫌い、D・Fも小便くさいし嫌い、D・Tは唖で耳も聞こえんし父によく叱られていたので可哀想だしまた私によくなつき私の言うこともよく聞いてくれたし一緒に風呂に入り、一緒に寝ていたので一番好きだつた、でもとてもいたづらで頭が痛くなるとガラスをこわしたり家の柱をこわしたり、母や私の南瓜をうれもしないのにもいだり弟妹のクレオンを無茶苦茶にしたりするので腹がたつこともあつたが、私を馬鹿にはしなかつたので好きだつた。D・Aは足を大火傷し足の首が丸かつた。魚釣りに行つて川に落ちて死んだ、可哀想だつた。仏だんにあつた写真はD・Aのだつた、D・B子も火傷し足が不自由だ、とても可哀想に思う、私の言うことをよく聞く。

D・C子とD・Fは小便くさいし大嫌い、D・C子は私を馬鹿にする、D・Fは私の言うことを聞かん、テレビでも自分の好きなのを勝手に見る。父もD・C子やD・F、D・B子は叱らん、叱られるのは私とD・Tだけ、

※父の攻撃が始まる、相当嘘が出てくる。父母の供述と相違するが父が酔うと相当の体罰をしていたことは真実、

特にD・Tの乱暴した跡が父の目にとまると少年の守が悪いと父に叱責された点を力説する。

まんざら嘘ではないが、こうした時人の同情を買う大嘘をつくため果して少年の言が真実か嘘か判断に苦しむ、額のきづあとを自ら指さし父が割木で殴打したと父を攻撃する。それは君が梨の木から落ちて怪我をしたのではないかと問うとヘラヘラ笑つて嘘だつたと平然としている。

3.月経は何時あつたかの問にここに来てあつた。9月10日から13日まで15日からまたあつた。18日に終つた。7月はなかつた。8月は13日からあつたが終つた日は忘れた。月経のはじまる前はくしやくしやして面白くなく腹が立つ、どうしてか知らん、物をこわしたこともある。

4.今年の4月に母は父とけんかし父に殴られて腹を立てて母の里に帰つた。10日位帰らなんだ。

その間は弟妹の世話を私がした。父は酒を飲んで帰つた、よく叱つていた。

※父曰く、家内が里に帰つていた時はとてもよくやつてくれ賞めてこそやれ叱つたことはないと

母に早く帰つて欲しいと思う日もあつたが、母が帰れば父が殴るので、母が可哀想になり、帰らん方が良いとも思つた。10日位して母が帰つた時は嬉しかつた。D・Tも喜んだので嬉しかつた。父が酒を飲むと、叱られたり殴られたりしなくても父がこわい。この間ここに父が面会に来てくれた。酒くさい赤い顔をしていたのでこわかつた。でも父が面会に来てくれるとは思わなんだ。

5.私の好きな食べ物はウメボシが大好、栗、みかん、さば、ピーマン、トーガラシ、塩が好き、嫌なものは甘いもの、まんじゆうが大嫌い、リンゴ、トマト、スイカが嫌い、虫が腹にいるから甘い物が嫌なのだろう、

今朝、蛔虫が一匹口から出たし、大便で2匹出た、虫下しは飲みたくない、腹が痛いような気がする。

6.本件の動機

色々嘘をついたが本当を言えば-ヘラヘラして真実を申立てるような態度はしない。

D・Tの守が悪いと、D・Tが悪いことをする度に私が叱られていたので、D・Tがいなければ父は叱らんだろうと思うようになつた。今年の7月頃からだつた、でも母が家にいるのでD・Tを殺す機会がなかつた。8月○○日私もD・Tも朝飯を食べなんだ、母も父も朝早く仕事に出て弟妹は学校に行きD・Tと私の2人になつた。D・Tが飯を早くたべさせとせがみ、戸棚のガラスをこわしテレビのアンテナを引きちぎつた、腹がたつた、父が帰つてまた私を叱ると思つた。首をしめて殺してやろうと決心した、でもD・Tが好きだつたし可哀想にも思つた、テレビの女性専科を見ていたが途中でスイッチを切つて殺すことに決めた。D・Tが死ねば守が悪いと父に叱られずにすむとそればかり考え、まんがを見ているD・Tの首をひもで絞めた、とうとうD・Tはぐんにやりなつて倒れた。可哀想だつた。おそろしくなつて山の中に逃げたが生きるかも知れんと思つて前のおばさんのところ走つて行つてD・Tが死んでいたと嘘をついた。私が殺したと言つたら父に叱られると思つたので畑の草を取つていたと嘘をついたのだ。

7.D・Tが可哀想で仕方がない。私が死んだ方がよかつたと思う。

D・Tの夢を見る、夢を見てD・Tが出て来ると「D・T」と大声で呼ぶと目がさめる。

ここから帰つたらD・Tに何か買つて帰つてやる。私の帰るのを待つているだろう。

8.早く家に帰りたい、ここは暑くてやれん、家の方が良い、でも帰るなら本家が良い。家に帰ると父が酒を飲んで叱るだろう。この間ここに来て叱らなんだのは先生がそばにいたからだ。

弟を殺したのだから刑務所にでも行く、悪いことをしたのだから。父がこの間早く帰つて来いと言つたので家に帰られるかも分らん、もう長い間ここにいるんだもの、

※・3時間の面接だつたが全然疲労の色は見られず、終始ニコニコしていた。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例